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努力という才能

There is no genius in life like the genius of energy and activity.

--Donald Grant Mitchell (1822-1908)

「私は才能がないから人一倍努力するしかないんだ」

こういった言葉をよく―特に受験系サイトで―耳にします。確かに,特定の記憶が作られる,つまり脳のニューロンの間にシナプスが形成される速度には個人差があるでしょう。また,その神経細胞の回路を働かせる効率にも,もちろん個人差があります。これは仕方ないことであって(何故なら,そういった能力は遺伝子によって決定されているから),これが不利な人は勉強の絶対量でカバーするしかない,という論理になります。この考え方は極めて自然なものであり,当然のことでもあります。

しかし,だからといって貴方が「才能がない」ということにはならないのではないでしょうか。私が思うところでは,「努力も才能の一つ」だからです。

そもそも「才能」とは何なのでしょうか。広辞苑のページをめくってみると,「才知と能力。ある個人の一定の素質,または訓練によって得られた能力」とあります。では「能力」とは……と,どんどん辞書をめくることを続けても構わないのですが,それ自体にあまり意味はありません。むしろ,「個人の一定の素質」というところに着目していただきたいのです。

先に述べた,「シナプスが形成される速度」,これは言うまでもなく個人の素質です。これに異論を唱える人はいないでしょう。しかし,「努力する」ということ,これに対して疑問を抱く人は多いのではないでしょうか。これに関しては,次のような例を挙げてみれば分かっていただけるものと思います。

皆さん,夏休みの宿題はいつ頃に終わらせていましたか? 私なんかは,7月20日あたりに意気込んで取り組み始めるものの,1週間くらいで挫折して,結局は8月20日以降に片付けるということを繰り返していました。皆さんもそれぞれに終わらせるペースとかがあったのでしょうが,それはほとんど毎年同じようなものじゃありませんでしたか。

もし夏休みの宿題を終わらせるペースが「才能」ではないのだとすれば,日本中のほとんどの家庭で,夏休みの宿題で子供が苦労する姿は見られないことでしょう。子供一人一人に,「どのくらい誘惑に打ち勝って宿題を進められるか」という個性があって,それを素質と言うことができます。その素質が,努力する方向へと傾いている人は7月中に夏休みの宿題を計画通りに終わらせてしまいますし,そうでない人は8月31日という日までギリギリ粘るのです。

ここまで多くの行数を割いてきましたが,ここまでの結論としては「努力することができるかどうかは個人の素質であり,故に才能である」ということです。少し違う角度から言ってみると,「いくら記憶力がよくても,ある程度は努力しないとダメ」「いくら努力したって,それを応用する能力がなければダメ」この2つが同等に考えられるのと同じでしょうか。


で,何を言いたいがためにこんなに行を割いてきたかというと,「俺は才能がないから……」という言い方をやめるべきだと私は思うからです。

理由その1。ここまで説明してきたように,努力だって,それ自体が立派な才能です。だから,「才能が無いから努力するしか……」という発言は,(私にしてみれば)矛盾しているのです。


理由その2。“一般に言う”才能と,ここでいう「努力」,これらの「才能」を両方とも持っていないような人は,大学進学は諦めたほうがいいでしょう。大学への受験勉強では,与えられた問題を数多くこなして知識を蓄えていくための「努力」と,その知識を体系化して使える知恵へと変換する「要領」の両方が必要となってくるからです。無論,一方の不足を他方でカバーすることは可能ですが(というか,かなり多くの受験生がどちらかに偏っていることでしょう),両方とも欠けていてはどうしようもありません。

また,万が一それで大学に入ったとしても,その後の勉強で苦労すると言うことは目に見えていますし。

記憶が形成される速度が遅いから,それを努力でカバーする,何もそれを卑下することは無いわけです。それも貴方の才能,大切にしていってください。

結局は,自分の記憶形成の速度や,自分がどれだけ努力できるかを見極めた上で,自分なりの勉強法を開発する必要があるんだろう,ということです。

(補足)自分流勉強法で書いたことですが,自分の勉強法を開発するには「実践してみる」ことが大切です。そのためには,やはりここで書いたような「努力」という才能が必要でしょう(本で調べるだけでなく,自分で実際に試してみて,それで勉強法を開発するのです)。努力をこういった方向に向ければ,それが“省エネルギー”にもなるわけですね。

(補足2)冒頭に書いた諺,訳は「努力に勝る天才なし」なのですが,ここでは努力と記憶速度,どちらが大切だという議論は行っておりません。