結局は価値観の問題。
同じ大学に行くのに,現役で行くのか浪人で行くのかと聞かれれば,迷わず現役です。しかし,第一志望に落ちて,それ以外の大学に合格した場合,どちらをとるのか……浪人か,現役か。これは多くの受験生に襲いかかる問題でしょう。あまり取り上げたくないトピックなのですが,避けては通れない問題になるはずなので。
「浪人すると,自分の望む大学に入れる可能性が高くなるが,1年を余分な受験勉強に回さなければならないし世間体も悪い」「現役だと,妥協して第一志望以外の大学に入ることになる」……このように,第一志望の大学に合格できなかった場合は,相反する二つのことの板ばさみになって,どちらを選ぶにしても多少の犠牲を必要とします。これをディレンマと呼ぶこともありますが,ここではむしろ「トレードオフ(trade-off)」という言葉のほうがふさわしいと思います。そもそもトレードオフとは,経済学の用語で,「物価安定と完全雇用のような,同時には成立しない二律背反の経済的関係について,妥協を得るために諸条件を考量すること」を指すのですが,最近では環境学などの社会科学全般で用いられる言葉のようです。今回の受験に関する話の場合は,もちろん「第一志望の大学に合格する」のがもっとも理想的であるわけですが,それが不可能であった場合−第一志望の大学に合格できなかった場合−を想定したときの議論を行ってみたいと思います。
第一志望の大学に合格できなかった場合は,(他の大学に合格している場合は,その大学に)現役で進学するか,浪人してもう一年(以上)を受験生として過ごすか,のいずれかの選択肢しかありません。先に出てきた「物価安定と完全雇用」のようなものならば,物価をある程度安定させつつ,99%の雇用を確保する,といった中間的な解決策を取ることが出来ます。しかし,今回の大学受験に関するときは,「浪人か,現役か」の二つに一つしかありません。それぞれの選択肢の利害得失を自分で考量して,判断する必要があります。そのためにも,それぞれの選択肢のメリット・デメリットをまずは知る必要があります。
浪人か現役かという選択を迫られたとき,これらの長所・短所を知っておくことは最低限必要となることです。まずは,浪人について考えてみます。
メリットについてですが,まずは「自らの望む環境を得られる可能性が高まる」ということが挙げられます。他の人よりも一年間余分に勉強するわけですから,当然のことながら第一志望の大学に入ることの出来る可能性も高くなります。また,就職活動においては,浪人は「空白の一年」として扱われる傾向があり,現役と浪人の間における差別は(多くの企業では)ありません。いわゆる「ネームバリューのある大学」に入ることが出来たならば,就職活動も有利になることでしょう。ただ,あくまでも「可能性が高くなる」だけであることは注意すべきです。当然ながら,試験本番で点数が取れなければ一年間の浪人生活は,少なくとも第一志望に入れなかったという点では,全くの無駄になってしまいます。
また,「寄り道人生を味わえる」ということもあるかもしれません。同級生で浪人をした人や,浪人を経験された先生方の話を聞いたりしていると,「無駄ではなかった」という意見が結構聞かれたりします。自分の行いを正当化したいという心理を差し引いたとしても,何らかの得るものはあるのではないか,そんな風に思います。
次に,デメリットについて。これについては言うまでもありませんが,「1年余分に受験勉強をしなければいけない」ということです。これが原因となって,「受験勉強は大学の勉強よりつまらない」「脳が(1年分)老化していく」などなど……。「脳の老化」というのは,特に理系の方で研究を志望される方は留意しておくべきことでしょう。creativeな発想は若い脳から生まれるものですので,研究者として同じ知識を持っているならば,若ければ若いほどいいのです。しかも,文系とは違い,理系の科目は,実験技術以外は全て独学が可能です。よって,モチベーションさえあるのであれば,それなりの実験の出来る大学にさえ入れば,大学院,そしてその後の研究業績での逆転は十分に可能です。大学によって差があるとすれば,教師の質というよりはむしろ生徒の質と心得るべきでしょう(もちろん,東大のようなところに入れば,それなりに一緒に高めあうことの出来る友人も多く作ることが出来るかもしれませんが)。
「浪人は差別されるのではないか」という心配は無用です。少なくとも私の周りでは,浪人だからという差別とか区別とかは起こっていません。
ただ,何よりも注意しておいて欲しいことは,上にも書きましたが「浪人したからといって必ず第一志望の大学に入れるとは限らない」ことです。
現役についてですが,これは浪人のときとほぼ逆になると思っても構わないでしょう。
メリットは,「若いうちに大学の勉強に入ることが出来る」ことです。脳みそが固まらないうちに幅広い知識を得,新鮮な思考をすることができます。
デメリットとしては,まず一つ目に「第一志望の大学に対する劣等感」があります。浪人という過去は本人の心の中にしか残りませんが,学歴は一生付きまとってきます。これに抗うだけの気力が果たしてあるか。
もう一つ。「勉強に対するよい環境が得られない」。これは大学によりけりなのですが,やはり,いわゆる「偏差値」と,その大学の生徒の勉強に対する意識というのは,正の相関関係にあるのではないでしょうか。少なくとも私はそういう感覚を持っています。また,図書館の蔵書の量・質なども,大学によってかなり異なるものです。このあたりの環境は,4年間という長(くて短)い期間を過ごすのですから,それなりに意識する必要はあるでしょう。
この他にも,各人に応じた様々な事情もあるでしょう。それらをここに書き連ねていたらきりが無いので省略しますが,それは各自が受験校を考える時に考慮に入れてください。さて,次の項では,私が併願受験をしたことと,その理由について書きたいと思います。
私のモットーは、「目標に到達する手段はいくらでもある」ということで、浪人してまで特定の大学に行くメリットは全くないと考えています。
私の将来の目標は研究職(分子or細胞レベルでの生物学)なので、大学の名前に固執するよりも、ある程度の大学に入って、大学院に入るときに十分検討すればいい、という考えです。私の場合、浪人してまで特定大学にいくというメリットを全く感じないので、(浪人する1年を研究の1年に充てたり、はたまた海外へ飛ぶ準備の1年に充てる事も出きる)ある程度設備の整った大学に入る事を大学受験の目標としています。そりゃ日本一金持ち(笑)の東大に入るのが一番だけど、(あと東大は大学院教育に力を入れてますよね)それ以外の道もまだまだ残されている。例えば、理科大にしか入れなかったと仮定してもそこから院で東大を目指したり、アメリカに飛んだり、いくらでも可能性はある。また、慶應のSFCなんかは、これから生命科学分野に力を入れるとかで、こちらにも期待していきたい。
しかし青年期というのは色々な考えが交錯していて、分子生物学をやりたいというかと思えば、脳にも興味を示したり、はたまた2月中旬には薬学への興味も復活したり。
東大の理二は選択肢がたくさんあるという意味でもいい所。
これは,自己紹介からの引用で,私の高校3年のときの考えです。私が受験するときは,こういったことを考えて,東大理2,東京理科大の理工(応用生物),慶應のSFC,以上の3校を受験しました。上の文章を読んでいただくと分かることですが,当時の私は「若いうちの一年」を大切にすべきだと考えていたようです(そして,この考えは今でも変わっていません)。そして,その価値は,「浪人を強行してでも東大に入る」という価値よりも高かった。こういうことです。つまり,「価値の天秤」が,現役のほうに傾いた,ということです。
「価値の天秤」は,個人によって異なります。そのため,私は「浪人するくらいならさっさと大学に行くべきだ!」「浪人してでも行きたい大学に行くべきだ!」という,一元的な主張は避けたいと思います。個人個人にそれぞれの事情があって,それぞれの哲学もあります。そういったものまでを変えてしまう能力を私は持っていません。
ただ,一つだけ言っておきたいのは,「大学で出来ること」を真剣に考えることをせずに,周りに流されて「まあとりあえず浪人して上の大学を目指すか……」「とりあえずは適当にいろいろな大学を受験しておこう……」という考えに陥らないで欲しい,ということです。特に,予備校や進学校の進路指導では,「進学実績」を上げるためにどんどん上の大学を目指すように指導したり,洗脳したり,ということがあります(たちの悪いことに,「洗脳」は同級生の手によっても行われます)。決してこういったものには流されないように。自分の将来を決めるのは,自分自身ですから。大学を調べるのが大切だ,ということも,ここに繋がってくるのです。